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【いくのな思い出】「山内トップ」とともに(前編)

【いくのな思い出】山内トップとともに(前編)

「山内トップ」に反応されたあなた!

さては~アラ〇〇〇ですね♪

そう、今の生野東公園、
子どもの頃はみんな「山内トップ」と呼んでましたね。

さすがに工場(山内トップ)があった頃は知らないんですが、
当時はまだグラウンドを囲う円形のフェンスもなく、
遊具側とグラウンドの境いにあったブロック塀も少し崩れてたり、
鉄筋剥きだしのボロボロだったり、たまーに、年頃の男の子がよろこぶ大人の本が落ちていたり(笑)

写真で時間をさかのぼります~~!

横の、朝日生野病院はまだ市場が健在で、精肉店、鮮魚店、漬物屋さんetc 活気があって、
小学生の頃はちょうど帰り道だったこともあり、
精肉店でコロッケやハムカツ等の揚げ物を買い食いするのが日課でした。

そう言えば、当時ハムカツは「ハンバーグ」という呼び名で売ってたんですが
その頃はなんら疑問に思うことも無く、、、
なんであれは「ハンバーグ」だったんでしょう。
他にも生野区内で数店舗同じように「ハンバーグ」って売ってた記憶があります。
生野だけ違う言語形態だったのでしょうか?謎です。
というか、ハムカツって聞いたの大人になってからのような気がします。

生野区は、銭湯が多い(多かった)地域として有名ですが、
当時はたこ焼き屋さんも多かったですね。

たこせん、たこポンってのもありました。

ん?たこポン知りません?
「たこせん」は、ご存知のように、

小判形のせんべいにたこ焼きを挟んで食べるおやつでした。
(たこ焼きの個数によって値段が変わる!)

おこづかいが足りない・・・!

でもみんな買い食いしてるのに自分だけ(@_@)
って時には、満〇ポンにたこ焼き1個を挟んだ「たこポン」がありました。

もっとも安いのは

「たこせん(たこ焼き抜き)」≒「ソースせん」という、
せんべいにソースと天かすだけの究極メニューもありましたね♪

これは駄菓子屋さんが併設してるタイプ。
他にお好み焼きさんタイプ、
戸建のおうちが台所の小窓を開けて営業しているタイプ。
リヤカーで売りにくるのもありました。

だいたい100円で10個~12個が相場の頃でしたが、
1店だけ100円で16個!!舎利寺尊勝寺の向かいあたり、材木屋さんの並びにありました。

憶えてるのは、リヤカーで10円で2個!ってのがありました!

当然、パックや舟にいれてくれるわけもなく、ハガキサイズに切った古新聞を2枚重ねて

「落とすなよっ!絶対落とすなよっ!!」

とおっちゃんに脅されながら?
手のひらにのせてもらいました。
まぁ、おっちゃんもちゃんと少し冷めたやつをのせてくれましたが。

今、たこ焼きは300~400円で6個。
子どものおやつにしては少し高いですね。
みなさんは、たこ焼き最安値!いくらを憶えてますか?(笑)

(続く)

この記事を書いた いくのなライター

金哲也(Kim Cholya)
金哲也(Kim Cholya)
在日系日本人生野区生まれ
一度は就職で大阪を離れるも時に暑苦しいほどのおせっかいな人間関係が恋しくなり、齢40を過ぎて転職で大阪に舞い戻る。
現在は八尾に住みながら実家のある生野をより活気のある街にしたいと、ゆるーく奔走中。
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