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【いくのな思い出】「山内トップ」とともに(後編)

【いくのな思い出】山内トップとともに(後編)

「山内トップ」での思い出は!

やっぱ「少年野球」ですね♪

当時は、たまにサッカーもしてましたが、やっぱり男の子の一番人気は野球でした。
生野区の強豪?「シルバーヤンキース」
今でも活動されてます。白地にのユニフォーム。
自分が在籍してた頃に今のこのデザインに変わりました。それまでは濃い青を基調にしたユニフォーム。
子どもも多かったので新しいユニフォームになってからのユニフォームは2軍のユニフォームになりました。

あっ、シルバーヤンキース出身で全国制覇した選手がいるのをご存知ですか?

甲子園?違います。

なんとその舞台は、、、花園!!

今年、高校ラグビーで大阪桐蔭の主将として全国制覇しているんです。
大池中学から本格的にラグビーを始めたようで、競技が変わったとはいえ、
後輩が全国制覇というのはやっぱり、嬉しいものです。
帝京大学でラグビーを続けるそうです。帝京も大学の強豪ですね。

ん?はい、まったくつながりはないです。(^_^;)

話を戻してヤンキースですが、今は子どもも減ってユニは白だけで、
少しでも親御さんの負担にならないよう貸し出しでやっているようです。
自分たちの頃は、基本購入で、この辺りにも少子化の影響が出てますね。
で、自分は、、、
はいもちろんユニ(2軍)でした。というより、マネージャーでした!

たぶん現役小学生でチーム初のプレイングマネーじゃないかなぁ、
プレイ目的でなくマネージャー前提で入団したのは(笑)
ひょっとしたらその後も誰もいないかもしれません。

まだ入団して無かった頃、周りの友人はこぞって野球を始めて、
練習終わりの買い食いを一緒にする為に本を読んだりして練習を見ながら友人を待つ。
そのうち、自分なりのスコアブックをつけて、
スコアラーよろしく、打率とか、チーム内の練習試合でも誰と誰の相性が、、、とか言って、
(当時はレギュラークラスでもピッチャーが3人いた!)

近場での試合には帯同するようになり、、、ある日、監督(元南海のプロ野球投手!)から

「てっちゃん、マネージャーやってくれへんか?」

ってスカウトが!!(笑)
今思えばこの頃に、自分の性格というか趣向のコアなものが形成されていったような気がします。

こうして記事を書いてたり、朝鮮学校の理事をやってたり、過去には会社の寮の自治会長やったりとか。

昔も今も、変わらないもの……

今の子どもたちはどんな出会いと経験を繰り返して、どんな大人になっていくんでしょうか?
昔に比べてお年寄りはもとより、同世代とも接する人数、機会は圧倒的に減っていると思いますが、
友だち、知り合い、知らない人、他の国の人、、、地元だけでなく、見知らぬ土地でも、
困っている人がいたら声をかけるような、誰にも優しく接することのできる大人になってくれることを切に願います。

かつての「山内トップ」のあった公園前からは

今も「通天閣」が見えます!!

この記事を書いた いくのなライター

金哲也(Kim Cholya)
金哲也(Kim Cholya)
在日系日本人生野区生まれ
一度は就職で大阪を離れるも時に暑苦しいほどのおせっかいな人間関係が恋しくなり、齢40を過ぎて転職で大阪に舞い戻る。
現在は八尾に住みながら実家のある生野をより活気のある街にしたいと、ゆるーく奔走中。
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