1. HOME
  2. ブログ
  3. 生野区にある幕末

生野区にある幕末

歴史の授業にはあまり興味を持てなかった。成績もそんなに良くはなかったと思う。
なのにどうしてか「歴史」は好きなのだ。
きっかけはテレビドラマ「新撰組始末記」古谷一行が土方歳三役で沖田総司は草刈正雄だったと記憶している。原作本に興味がわき、子母澤寛の文庫を買った。
そこからは怒濤の勢いで、日本の歴史を追っかけていく日々が始まった。
特に好きな時代は?と問われれば迷わず「幕末」と答えるだろう。
幕末とは
明治になる前の時代、江戸幕府の最後のほう、西暦でいうと1853年~1868年くらい。
坂本龍馬や新撰組、高杉晋作や吉田松陰の生きた時代である。
そして、そして!年号でいうと「慶応」(文久とか元治もあるのだが、筆者は慶応推し!笑)

実家は京都なので、独身の頃は幕末の史跡を求めてあちらこちらをウロウロしていた。
また、歴史愛好会にも所属していたので同好の仲間たちと遺跡巡りの思い出も多い。
京都は遺跡・史跡の宝庫なのである。

生野区に来てからは、夫の親との同居生活や子育て等が気持ちのすべてを占めるようになり自分が歴史好きということさえ忘れかける生活が長かった。
が、時は流れる。

親を看取り子供は独立し年金生活になった昨今、どういった巡り合わせか「いくのぐらし」のライターの話をいただいた。
書くなら幕末でしょ!(いや、幕末には限りませんが・・笑)
ということで、生野区の幕末を探した。

古墳やつるのはしあと等、古い時代の有名なものは生野区にある。
大坂冬の陣の徳川秀忠の陣跡もある。
が、幕末の表舞台は残念ながら生野区には見つからない(どなたかご存じの方は筆者に教えてほしい)

唯一見つかったのが、桃谷3丁目にあるこの碑
道標(道しるべ)なのだが、八尾・久宝寺・信貴山へは右、大阪へは左、というように書いてある。
慶応二年 鐘講
とある。

慶応二年といえば寺田屋事件があったり、徳川慶喜が15代将軍になったという出来事がある。
日本が変わる大きな波のような時代だとは思うが、ここ桃谷には旅する人々のための道標が建てられたのだ。

幕末の志士がこの道標の前を走ったのかどうかはわからない。
でも、絶対にそんなことはなかったともいえないだろう。
そう考えただけで、私はこの道標をナデナデしたくなるのだ。

この道標を保存、守ってくださっている猪飼野保存会の関係者の方々には感謝に堪えない。

この記事を書いた いくのなライター

サッキー(杉本佐希子)
サッキー(杉本佐希子)
エッセイスト
生まれと育ちは京都市山科区
生野区に嫁いできて40年

いくのの日のライターとして
「毎月19日はいくのの日」の周知を目指します

いくのの日の旗があると、初めての店に入りやすく
初対面の人ととの会話のきっかけになるという経験があり
人見知りで緊張しがちな自分の中のハードルがぐんと下がる
そんないくのの日の旗を多くの人に知ってほしい。

好きな作家は宮部みゆきと桜木紫乃

歴史と地形の高低差やへりに目がない62歳
  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事