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幸教寺 お寺マルシェに行ってきました。

まず最初に、幸教寺さんのお寺マルシェとは?

以前のお知らせ記事ですがご覧いただきたい。違うのは日付と出展者さんだけで思いや目的はほぼ変わらない。

私の実家は京都で、菩提寺は河原町五条、鴨川のすぐそばにある。幼いころからその寺を訪ねるときは墓参がメインの用事で次には先祖の誰かの○○回忌法要だった。

改まった服を着て(黒が多い)お布施を包み、本堂の扉を静かに開け畳の縁をふまないように入り、住職に挨拶し樒を書いてもらう・・

お寺とはそういう場所だと疑わなかった。

ところが最近、生野区のお寺の住職さんたちと知り合う機会があり、それはヒートアッププロジェクトがあるからに他ならないのだけれど。

どうして生野区のお寺さんは、そろって面白いのだろう??「面白い」というのはもちろん褒め言葉であるし「興味深い」に近いかもしれない。

私の知っている「お寺」ではない。

幸教寺さんのマルシェは、思い切り敷居が低い。ヨチヨチ歩きの幼子でもすいっとまたげるくらいの低さだ。楽しく、テキトーに、対話し、楽しみ、お金をそんなに必要とはしない。

何か自分を表現したくなったら、このマルシェに申し込めばいい。審査も参加費もいらない(と思う)

そこで出会った人と顔見知りになり、自分の世界を広げていけばいい。

私の知っている「お寺」とはずいぶん違う。住職はこんな人たちだ。

この日のマルシェで、住職の思いをずいぶん聞いた。(写真 右側の石原住職)

彼はもちろん「お寺の住職」としての使命は全うしようという姿勢だが、寺とか神社とか宗教施設とかの垣根を持っていないように感じた。場所があれば、そこに集まって何かしたっていいじゃないか。

やりたいことをすればいいじゃないか。一緒にできることはしよう。そんなふうに思っているのではないだろうか。

そしてこの住職は、人としての状態で垣根は作らない。例えばわかりやすいところで年齢だとか性別だとか、年収だとか。

目の前にいるすべての人を尊重しているように感じる。いや、目の前にいない人も、すべての人を「人として尊重している」そんな住職に思えた。

お寺に限らず、場所を開いて、そこに人が集って、顔を見て知って、あの人はどこそこの○○さんだとみんなが知って。

そんな町をなんというか

「安心して暮らせる町」というのである。

ヒートアッププロジェクトが始まる前から、この幸教寺さんでは様々な取り組みを始められていた。いわば「パイオニア」だ。

その後を続くように、今生野区じゅうが動き始めている。

そのことを住職に伝えたら「そうなんですかねぇ・・・」とこの写真のような顔をされていた。

先駆者とは、そんなものなのかもしれない。

この記事を書いた いくのなライター

サッキー(杉本佐希子)
サッキー(杉本佐希子)
エッセイスト
生まれと育ちは京都市山科区
生野区に嫁いできて40年

いくのの日のライターとして
「毎月19日はいくのの日」の周知を目指します

いくのの日の旗があると、初めての店に入りやすく
初対面の人ととの会話のきっかけになるという経験があり
人見知りで緊張しがちな自分の中のハードルがぐんと下がる
そんないくのの日の旗を多くの人に知ってほしい。

好きな作家は宮部みゆきと桜木紫乃

歴史と地形の高低差やへりに目がない62歳
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