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【踊る髭の生活 〜ベトナムよりいくのの皆さんへ〜】ハノイの養老院と高齢化事情 前編

ハノイの養老院と高齢化事情 前編

シンチャオ!こんにちは!

ベトナム在住の旅する歯科医、ナックです。

少し前はハノイにある養老院に見学に行ってきました。

養老院とは日本でいう「老人ホーム」のようなものです。

高度経済成長ばかりがクローズアップされ、あまり知られていませんが実はベトナムも少子高齢化の道を進んでいる国の一つです。

(今回は真面目な内容だぞ!)

「豊かになる前に老いさらばえるリスク」を抱えている国と表現されることもあるこの国は

WHOの調べでは既に60歳以上が約1000万人で全体の11%、さらに2030~35年には65歳以上が14%を超える「高齢社会」に。21%を超える「超高齢化社会」には2050年ごろ突入すると言われているようです。

15歳未満の人口も実は10数年前から右肩下がり、合計特殊出生率も現在は1.95なのだとか。

人口を維持するために必要なのは2.1と言われていてこのままいくと向こう10年でベトナムも労働力不足や高齢者の社会福祉負担額の増加などの問題に直面する恐れがあるとベトナム政府も対応を考えているとのこと。

そんなベトナムの社会の中で大きな存在になってくるであろう場所が「老人ホーム」です。

ハノイ市内には現在7つしかこの養老院がありません。

ベトナムでは親の面倒は子がみるという文化が根強くあり、うちのスタッフに聞いてみても「そんなとこに親をいれたくない」と言っていました。

しかし共働きが普通のベトナム社会で(こどもに教育をと思うと普通の収入では共働きしか難しい)今後老人人口がふえると

間違いなく家族の負担は大きくなり、現在日本が抱えているような問題がたくさん起こるであろうことは予測できます。

そんなベトナムの養老院で、日本人介護福祉士として働く土橋さんに出会ったことで

今回は養老院を訪ねることができました。

今回はそのレポートをしようと思います。

「介護っていうのは、基本的に『治療』じゃなくて『生活を支える』仕事なんです」

ハノイ郊外にある養老院。すっきりと整えられた中庭で利用者の方々と談笑しながら、土橋さんはそう語った。

僕は恥ずかしながら超高齢化社会と言われる日本にいて「介護」という言葉の意味を、その定義を考えたこともなかった。

最近になってそういった出会いが増え、「介護ってどういうことなんだろう?」とさらに疑問を持っていた僕にストンと落ちるような

答えをもらった瞬間だった。障害を持つ方や高齢者の生活を支える仕事なんです、と彼は続けた。

養老院の敷地内は大きく「自分で生活のできる(動くことのできる)人の為の建物」=生活ゾーンと「病気や身体の状態が良くない為基本的にベットの上で過ごす人たちの建物」=療養ゾーンにわけられており、その間を繋ぐように観葉植物や花が彩られた雰囲気のいい中庭がある。

この日は晴れていたので利用者の方も外でベンチに腰掛けて和んでおられる方もいた。

「こういう庭はなかなか日本の施設にはないですよね」

痴呆があるという方が終始笑顔で僕の手をとって何か話していた。

土橋さんはその様子をニコニコとながめながら、僕を施設内に案内してくれた。

土橋さんは旅する介護士としてイギリスで一年仕事をし(介護職であればビザが取りやすいらしい)、その後も色々と旅を続けながら介護の現場をみてこられたそうだ。

「生活ゾーンに約60人、病棟ゾーンに約40人。計100人ほどがこの養老院で暮らしています。ベトナムにはまだリハビリという概念自体があまりないので、なかなかやりがいがあります。」

僕自身も「リハビリ」というものの概念が曖昧だったので思い切って土橋さんに聞いて見た。

「高齢者の場合は今の機能を落とさない為の訓練、ということができると思います。いま20歩歩けるなら来年も同じように歩けるように。

また、道具やボールを使うことで脳の使える部分をしっかり使っていく、というのも大切です」

話しながら案内してもらった利用者の部屋は多くが共同部屋だった。個室もあるそうだが共同部屋の方が人気だそうだ。

やはり、一人が寂しくなってしまうのだとか。

ベッド脇には体を支えられるように手すりがついているのだが、トイレやシャワーには手すりがついておらずそういう行き届いていないところもあると土橋さんは語った。

施設を見せてもらう中で運営側の方々とも挨拶をした。

代表の女性は台湾で介護技術を学びその知識を持って帰ってきてこの施設のマネージメントを行なっている。

彼女をはじめ、ベトナムで介護職についているのは基本的にナースの資格をもっている人々だ。

実際のところベトナムではナースの資格を取得してもなかなか病院で職を得れず、こういったところで働く例も多いらしい。

利用者の方の食事をつくる調理場もみせてもらった。

思っていたよりかなり清潔で、掃除も行き届いている。栄養士さんもおられるそうだ。

養老院と呼ばれる施設は基本的に労働局の管轄のもと民間の運営になっているらしい。

ベトナム戦争の後の保障でアメリカが支えている施設もあるのだとか。

施設利用の費用としては月に最低4万円ほどかかるらしく、これはほぼベトナムの普通の人々の月収に値する。

親の面倒を子が見るという文化を差し引いても、そういう意味でも利用できる人間は限られているようだ。

療養ゾーンを回っていくと、あきらかに生活ゾーンよりも要介護度の高い人々がそこに暮らしていた。

そのほとんどが鼻腔栄養の状態になっていた。つまり、鼻から管を食道の方に通して流動食を流し込むことで栄養を摂取しているのだ。

「このゾーンで暮らす人々は自分で咀嚼をして食べられない方がほとんどです。ここではそうなると、すぐに経鼻挿管しちゃうんですよね。」

職員が全員ナースなのでだれでもその処置ができてしまうのも、簡単に鼻腔栄養になることに拍車をかけているそう。

当然、そんな状況になれば管を引き抜こうとする人たちもたくさん出てくる。結果、身体を拘束されることも多くなってしまうのだ。

一方日本の介護士は経鼻挿管を行える資格ではないため、なんとか口から食べさせようと努力する。

制度の違いは、こういった違いを生んでいる。

「生きる意欲をなくしちゃいますよね。」

この土橋さんの一言は僕に刺さった。

僕ははじめて「自分の口で普通に食べること」がどれだけ人の幸せと繋がっているかを実感したのだ。

歯科医師として生きてきていままで世界中様々な場所で診療行為を行なってきたのにも関わらず、僕はその大切さを知っているようでしらなかった。

自分の肉親がこうなるかもしれなかったら、どうにかして摂食嚥下の訓練をすることで経鼻栄養を避けられるように奮闘するだろう。

実際この状態では動くに動けず僕は見ていて「生きる意味」について思いを馳せてしまった。

これは日本でも、いや世界中で論争のあるところだが

どうやっても日々を楽しく生きることができない心身の状態に自分がなった時に、人はそれでも生きたいと思うのだろうか。

家族が、生きて欲しいと思うんですよ。僕の青い問いに、土橋さんはそう答えてくれた。

そう、ひとは一人で生きているのでは決してないのだ。

死に思いを馳せる場所も施設内にあった。

施設内で亡くなられるかたもおられるため、仏壇を祀った部屋がある。かすかに線香の匂いがするこの部屋で何度も土橋さんは

利用者さんを「弔う」ところまで寄り添ってきたらしい。

「日本であれば亡くなられた方に対して施設内でこういうことはできないことが多いです。しかしここでは職員と家族が一緒になって手を合わせて、その人について話したり泣いたりする時間がとれる。こういうことを行なっているのが、利用者さんご家族と強い絆や信頼関係を作っているのだと思います。」

どうしても業務的になってしまいがちだという日本の施設。死という瞬間がそばにある場所なだけに、省みなければならないことは多そうだ。

こうしてひと通り施設内を見学させてもらった僕は、その後少し利用者の方々のお口の中を診る機会を頂いた。

~後半へ続く~

✳︎日本国内には25万人を超えるベトナム人が住んでいると言われています。
いくの区でもベトナムの方と会う機会が増えてきていると思います。
このブログが、日本とベトナムの間の相互理解に役立てばとても嬉しいです。

この記事を書いた いくのなライター

ナック
ナック
ベトナム ハノイ市在住の旅する歯科医。

40カ国以上をバックパックで旅する。
大阪市生野区でシェアハウス、旅する漫画喫茶nyi-maを運営。
現在はハノイの日系歯科医院で院長を務めている。
「知性と野性」がモットーの自由気ままな髭の人。
あふれる浪漫とさけるチーズが大好物です。
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