生野区の街道をゆく~七福の辻にて~
※この記事にはフィクションとノンフィクションが含まれています
住所でいうと鶴橋3丁目5のあたりに「七福の辻」と書かれた碑がある。
特に難しい碑ではない。七つの道が交わる辻(交差点)ですよー、といった意味の碑なのだろう。
ある日のお昼時、私はこの碑の前で困惑する。
この碑の前には何本もの道が通っているのだが、どう数えても六本しかない。
右から「一、二、三‥‥」六本だ。
いやいや、見落としてるのかもしれない
今度は左から数えてみよう。
「一、二、三‥‥‥‥‥」
やはり六で終わる。
頭を抱えたところに、救世主のような人物が現れた。
本当に偶然に。
生野区にこの人あり!と言われるまち歩きの達人、キムラーその人だ。
私は挨拶もそこそこに七本目の道はどこにあるのかを尋ねた。
「ああ、これはね~」とご自分の用があるだろうに、説明してくれる。なんていい人!
キムラーは「ほら、こっちこっち」と少し鶴橋側に入ったところにある細い道を教えてくれた。
「これが7本目の道」
なるほど~、とひとり納得する私を残し
「じゃあね!」と右手を上げて歩き出すキムラーの背中は、とても頼もしく見えた。
キムラーが去ってから私は想像する。
京都には六道の辻、という場所がある。
これは京都だけではなく、わりと様々な地域にもある。
道がたくさん交わって帰り道がわからなくなる、というとかろから、あの世とこの世が交わる場所ということになっている。
昔は電気もなく、家もそんなに建ってはいない暗い夜道に六道の辻のような場所を歩かねばならなくなったら
そりゃ迷うかもしれない。
で、鶴橋のここも道は六本で六道の辻になりかけた。
しかし!そこが生野区の面白いところ。
時の連合会長(大正時代)が
「そんな縁起の悪いことはあかん!道を七本にせぇ!」と言ったとか言わなかったとか(笑)
私は妄想の中で、六道の辻を七福の辻に半ば強引に変えた当時の生野区の人々に、拍手喝采を送った。
この記事を書いた いくのなライター
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エッセイスト
生まれと育ちは京都市山科区
生野区に嫁いできて40年
いくのの日のライターとして
「毎月19日はいくのの日」の周知を目指します
いくのの日の旗があると、初めての店に入りやすく
初対面の人ととの会話のきっかけになるという経験があり
人見知りで緊張しがちな自分の中のハードルがぐんと下がる
そんないくのの日の旗を多くの人に知ってほしい。
好きな作家は宮部みゆきと桜木紫乃
歴史と地形の高低差やへりに目がない62歳
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