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今里新地を振り返ると

みなさん こんにちは
東京のT大学の准教授Tさんを先月26日、大阪生野・今里界隈に案内しました。Tさんは社会学がご専門で今、今里新地の多文化をテーマに研究されていて、私へのインタビューで今里にいらっしゃったのですが、ついでに町の案内と今里をよくご存じな方を6人ご紹介しました。

近鉄今里駅前通商店街でお店を営むIさんは私より一つ上、Oさんは二つ上でどちらも東中川小学校、東生野中学校の先輩。またO2さんは70年ほど今里にお住まい。さらにバス通りの南側新今里5丁目のMさん、同じく3丁目で長らく飲食店を営んでいたKさんはどちらも戦中生まれの同級生で、ずっと今里にお住まいです。さらに私の住む一北町会のAさんは3つ上で同中学校で東野圭吾さんと同級。東野さんの小説「あの頃ぼくらはアホでした」に”出演”されています。

一緒に回って話を聞いていると、私の知らないことも多く。例えばバス通りから北の方が歴史が古く大店が多かった。北側がいっぱいになって南側に店が広がった。駅前通商店街とは別に通称・今里新地公園西側の筋にも商店が点在していた。しかし北側は空襲で焼けて戦後は南側が新地として残り、北側は住宅街や工場になっていった。戦後、多い時は今里花街(かがい)組合に160軒も加盟していていて、今も残っている。近鉄線と今里筋とが交差するところにもう一つ駅を作る計画があった。
下の写真はその新地公園西側の筋です。今ではマンションが立ち並びます。

それにしても、地域の古いことを尋ねられる歳になったんですね。3歳で隣町の布施から今里に来てもう60年。若干今里を離れていますが、それでも50年以上住んでいるんですもの。老い先短くなったっていうことでんな。
今里新地についてはこちらのブログ「網站・茶商 SHINCHAYA」がとっても詳しいです。

「網站・茶商 SHINCHAYA」の記事はこちらです。

この記事を書いた いくのなライター

岡田光司
岡田光司
東大阪布施生まれ。3歳から生野で暮らし、通算の生野・今里歴は50年超。 大阪で100年続く造花会社の三代目元社長。その前は毎日新聞記者。
子どものころは3人兄弟で一番作文が下手だったけれど、7年間給料をもらいながら鬼のデスクの添削を受けて、それなりには文章が書けるように。
2024年11月に20年目を迎えるブログ「えびす顔の造花卸売問屋元社長からの手紙」(下記アイコンから)はもうすぐ7000投稿に。書くことが趣味でいくのぐらしライターに応募。  
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